CL4Y

技術的なこと、ライフハック的なこと、V界をみて感じたこと

限りある「生」と、「死」へと動き続ける時間の中で、どう生きるか

漠然と「死」を意識した。

 

画面前の皆さんは「こいつ、ついに気が狂ったか」と思われたでしょう。

誰しも自分の「死」について考えることは一度はあるはず。それをよくわからないタイミングで、そして、よくわからない深さで意識してしまい、この記事を書くに至りました。

誰向けとは言わず、自分のメモとしてただ残しておこうと思います。

 

別に「自分がそろそろ死にますよ」というメンヘラのようなことを言いたいのではありません。

カジュアルに「死」について考えながら家系ラーメンを食べていたら思考の迷路にハマっていった。ただそれだけです。

 

先に言いたかったのは、「生」という限りある中で我々は生きているのですが、ついそれを忘れがちです。意図して視界の外に追いやっているのか、無意識に考えないようになっているのか、そういった所は省きますが、常に頭に入れて生活している人はほとんどいないと思います。

むしろそればかり考えて生きていたら文字通り気が狂うでしょう。

 

その「死」を意識し、少し考えてみたのです。「もし明日死んだら」「もしこの後トラックが突っ込んできたら」「もし飛行機が家に突っ込んできたら」「もし今、記事を書いている最中に大地震が起こり生き埋めになったら」。「死」はそこら中に可能性として無数に落ちています。長期的に見ても、人間は必ず死にますよね。それは歴史が証明しているし、親戚のおじさんやおばさんが今にも証明してくれる。私の両親も、兄弟も、そして自分も。

 

そこでふと感じたのは、限りある生の中で自分は何をしたいのか。息を吸って吐いているこの瞬間にも「死」は少しずつ近寄ってきている。それを意識した途端、「何かをしなければ」「このままではいけない」といった思考が駆け巡ります。過去にもこういった電撃が走るような考えに至ることはありましたが、今回はいつもより強く、長い痺れのようでした。

そして色々と自分のしたいことを考え出し、リストアップしてしばらく眺めました。それらは全て自分一人では成し得ないものばかりで、必ず誰かの助けを必要とし、泥臭い話し合いや、契約、交渉といった事柄があり、自分にとって苦痛でしかなく避けられればなんと楽なことだろうと思えるものです。でも、「死」は待ってくれない。自分から何かアクションを起こさなければ死ぬまでずっとフラットな生活を送ることになる。絶叫しながら心の内から湧き上がる嬉しさを表現することもなく、体の内側から千切れて爆散しそうなほどつらい気持ちに支配されることもなく、ただ水の上に漂うだけの生活。自分はそれは嫌だと思ってしまった。フラットならまだしも、自分が興味も持てないことに1日何時間も使わされたり、土日に呼び出しを食らったり、自分が少しも喜ぶことができないことに「死」までの限りある時間を使わされて本当に頭に来る。そんな環境が嫌なら動く以外に選択肢は無い。

 

今の仕事が嫌なら面白そうだと思える仕事を探すし、面白そうなものがないという人なら、一番つまらなくなさそうな仕事を選んで自分を楽させてあげれば良いと思う。クソみたいな選択肢から一番クソじゃない物を選ぶだけでもかなりの差がある。

今の彼氏/彼女に不満があるならすぐ解消できる手段を探すし、手段が無ければ別れたほうが良い。

嫌なことをそのままにして生きていくことほど辛いことはないと思っているし、言い換えれば拷問を受けながら生かされているようなもの。「死」までの時間を有意義に過ごせる環境を作ることに自分のリソースを割くことが本当に大切だと強く感じる。

 

だから、何かをしたかったらすぐに動いたほうがいいですよ。人間、いつ死ぬかわかりません。

バーチャルYoutuberとしてデビューし、ファン作りや、横の繋がりができたら嬉しいな楽しいな。なんなら大物にお呼ばれしてコラボしたり紹介してもらえたらもっと嬉しい。でももう時期的に遅いよね…」

やろう。今からやろう。何度でも言う。人間、いつ死ぬかわかりません。恥ずかしかったり、トークだったりパソコンの技術的な問題はどうにかなる。Live2DモデルやFacerigを用意したり、カメラやマイクを用意したり金銭的な問題もあると思いますが、今ではスマートフォン一個で配信者へなれるプラットフォームもあります。工夫して最短距離を見つけ出すのも一つの手段です。

 

冒頭でも書いたとおり、この記事は自分宛ての側面もあります。

バーチャルYoutuberを例に出して急かすようなことを書いてしまいましたが、本当は自分に一番言いたかった。自分を鼓舞するために例を出したようなものなんですよね。1秒ずつ「死」が迫ってくるとか、半端なく極端なことばかり書いたのも自分を駆り立てるため。

でも、こうして誰かの目に触れる場所に書いたのは、誰かにも深く突き刺さって欲しかったから。

自分と同じように不満を抱えながら生きている人に刺さって、自分の環境を変えるためのきっかけの一つになってもらえれば、私はとても嬉しいです。