CL4Y

FPSのこと、Kovaak'sのこと、技術的なこと、ライフハック的なこと、V界をみて感じたこと

半径2メートルから見た仕事に対する疑問と自分の価値観

画面の前の皆さんは仕事って何のためにしていますか?

  • 食べていくため?
  • ローンの支払いのため?
  • 趣味に使うお金のため?
  • 家族を養うため?
  • 家を買うため?

多くの人たちが今挙げた目的を達成、継続するために仕事をしていると思ってます。

そして多くの人たちが、目的達成のための仕事に対して強いストレスを感じながらも周りも一緒だから我慢してなんとか続けなきゃ、といった感覚を持っているような気もしています。

さらに我慢をすることが美しい何かのように感じたり、目的を達成したときの嬉しさや感動を倍増させる魔法のようなものとして当たり前なことであると認識しているようにも見えています。

そうでもしなければ気持ちがネガティブに振れ、肉体的・精神的な失調によって今までと同じ生活を送れないほどのダメージを負ってしまうから、といった理由もあると感じます。私の経験からすると、ネガティブな現状と自分の理想とのギャップに耐えられなくなる、もしくはどうにもネガティブな現状から脱出できないと分かった時にあらゆる物が音を立てて崩れていく感覚に襲われます。

 

改めて、仕事って何のためにしていますか?

自分の辛い気持ちや嫌な気持ちを押し殺し、それは皆も同じだし、自分が変わろうと思ってもどうせ何も変えられない。そういった重たい物を抱えたまま、自分の大事な時間や労働力の対価としてお金を受け取る。これが仕事なんだ。

何か理由があってその仕事を続けなければいけないような人が居るのも仕方のない無いことかもしれません。

でも、これらネガティブな面を無理に受け入れ正当化し、相談窓口に愚痴を垂れ流して一時期な凌ぎ方を続けるって、異常なことでは?

極端な例えですが、1ヶ月140時間から200時間、大小問わず何かに耐えなければお金が貰えない状況です。

自分の価値観

2020年あたりから自分の価値観の変化が起きています。それは今も続いていて、新しい職場に移り、新しい文化に触れたことが大きな要因であると考えています。

2020年1月から続けていることですが、自分が何を求めていて、何をしたら楽しさや嬉しさを感じるのか、といった点について少しずつ掘り下げることを進めています。それはもう何か解ったかのように思えた直後に、やはり何かが違う、その何かってなんだろう。といったスパイラルに巻き込まれたかのようです。

しかし、そこが少しでも分かれば、仕事や自分のあらゆる事、つまりQoLに直結する部分に適用することができるはずなんですよね。

周りから言われた内容をそのまま受け入れたり、周りがこうしているから自分も合わせる行動には、連帯感のようなポジティブな感覚があるのは確かだし、そのように自分に声を掛けてくれることはとても有り難いことでもあるのですが、その内容は自分を満たしてくれるのかどうか。

この答えは自分の中、もしくは自分の中でも気付いていない部分に眠っているかもしれません。自分はその答えを探し実現することを大切にしたいなと感じるようになってきました。

周りから離れて一人になるというわけではなく、お話はたくさんしたい。自分には無い観点から物を見ている人と話すことで、もしかしたら自分が喜べるような何かに気付くことができるかもしれません。

世の中、わからないことだらけです。

今こうして文章を書きながらも色々なことを思い浮かべて首を捻ってみたり、トイレに座り用を足しながら自分の考えを整理するために何も無い空間に向かってろくろを回しながら何かを喋り続けることも勝手に発生しています。

 

まったくまとまりのない記事になってしまいましたが、「自分にとって嬉しいこと × 自分のやりたいこと」を実現することが直近の自分が目指す場所であり、より多くの人に対し一つの場所としての選択肢を提供できれば漠然と楽しくなれそうな気がしています。