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私は”闘争心”を失ってしまったのか?

闘争心とは、「闘争したり戦う意欲や気持ちを表す言葉」と辞書には書いてある。

 

ここ5年から10年を振り返ると色々なことに挑戦し夢中になり途中で見向きもしなくなるということを繰り返し行ってきた。

 

FPSゲームは5年以上、レースゲーは3年、音ゲーは2年、格ゲーは1年、DTMは3年ほど。

今挙げたものには常に全身全霊で取り組み、「上達するにはどうすれば良いのか」を考え続けひたすらに打ち込んだ。取り組んだ成果がはっきりと現れるものもあれば、まったくと言って良いほど初心者レベルから上がる見込みの無いものもあった。

体を怪我するほど追い込むし、誰よりも早く上達したいという気持ちから研究やプレイの時間は伸び、結果的にスコアに変化は無く体調だけを崩すという時もあった。加減を知らずに常に前だけを見てペース配分を考えずにとにかく走り続けた一つの結果といえるかもしれない。

 

まるで何かに駆り立てられるかのような時を何年も過ごした私は2020年に入り何をしているかといえば、上述のジャンルのゲームには一切触れていないどころかゲーム自体から離れている。自分でも驚く。10年前の自分がプライベートの時間にゲーム以外のことをしているなんて到底考えられなかった。

 

ゲーム以外にそんなにのめり込める物を見つけるとは、ついに彼女でもできたのか?

 

そんなことは無く、一言でいえば「仕事」である。

仕事にほぼ全ての時間や体力といったリソースを注ぎ込んでいる。

仕事と聞くと、「嫌々やっているのではないか」、「ストレスを溜め込んですぐ体を壊すのではないのか」、「お金も出ないのに仕事に関連することをしていて無駄」「結婚もせずに仕事しかしないなんてもったいない」などなどたくさんの言葉が飛んでくると予想できるし過去の自分もそのように思っていた。

 

でも実際は大きく違った。

 

IT技術に特化したコミュニティサイトであるQiita(キータ)に記事を投稿したり、業務で使用するソフトウェアのアップデート情報やベストプラクティスの翻訳をしたり、その日の業務が終わった後でも気になったところは自前の検証環境で色々と動作の確認をしている。

気が付くとその過程を楽しめている自分がいるし、必死に調べた結果を業務の現場に持ち込むと驚くほどスムーズに仕事が片付き、業務中にまた別のことを調べる時間が生まれる。

 

ここで疑問に思ったのは自分が「何に喜びを感じるか」についてである。

ゲームをやり込んでいた日々は必ず対戦という勝ち負けがハッキリするものか、誰かのスコアを破るために必死になっていた。しかし仕事では逆に調和や協力、チームへの貢献といった超平和的な世界のため、闘争は皆無だ。部署や職種によっては他社というライバルや、もっと別組織との争いは存在すると思うが、自分はそのような争いとは無縁の場所で過ごしている。

 

話を戻すが、過去の自分は相手を倒すといった明確な目標があってそれに邁進し、目標達成によって喜びを感じていたように思える。仕事をメインにした私にももちろん目標はあるが、数年先に達成できるかどうかといった物であり、そもそも数年後に自分の望む目標そのものが存在しているか定かではないため、現時点での目標を書くことは割愛する。

 

ここで自問自答する。

私は闘争心を失ってしまったのか?

 

答えは「失っていない」だ。

 

むしろ闘争心は過去よりも強く、確固たる意志を生み出しているかのように感じることもある。自分と誰かが直接争うような場面こそ見えないが、確実に闘争の中に自分は居る。仕事というフィールドでどれだけ自分のスキルを磨き、発揮し、評価を得るか。評価は給与や自分が携われる仕事の内容に直接影響してくる。積極的にスキルを磨くことは、自分の生活の質を上げるだけでなく、自分のやりたい仕事に繋げるための手段であり、数少ないポジションを奪い合う椅子取りゲームでもある。

勘の良い人なら気付いていると思うが、私の目標とは仕事の中にある。1日8時間以上を捧げる仕事という時間の中で自分が望むままに動けたらどれだけ楽しいことだろうか。そして仕事の成果物が何かしら社会に影響を及ぼすようであるなら、そこで自分の目標は達成され、次の目標に向けて何かを考え始めると思う。

今はまだ存在しない物が数年後に大きな物へと進化し、そこで必要される技術を今の私は学んでいると思っている。だから頑張れるし、その過程も楽しめている。

前のめりで走り続ける姿勢こそ過去の自分となんら変わらないが、体調管理やペース配分といった部分では自分で管理できつつあるので少しは成長したように思える。あらゆる箇所を壊してからでないと加減がわからなかったということもあり、常にどこかしら痛めていた自分が、現在では痛みが出る前や体調が崩れる前に自分にストップを掛けられるようになってきているため良い方向に進んでいるように思える。

 

私は闘争心を失ってはいない。

 

日々見えない誰かと椅子取りゲームをし、音楽に神経を尖らせ、気を張り詰めながら歩き続けている。